文/山田 靖 画像クレジット/@Ornelaia
ワインは飲み物であると同時に、文化でもある。
そのことを毎年あらためて思い出させてくれるプロジェクトが、イタリア・トスカーナの名門オルネッライアが続ける「ヴェンデミア・ダルティスタ(Vendemmia d’Artista)」だ。2006年ヴィンテージから始まったこの取り組みは、毎年、その年のヴィンテージを象徴する一つの言葉をテーマに選び、世界的な現代アーティストが作品や限定ラベルを制作するというもの。完成した特別仕様のボトルはチャリティオークションに出品され、その収益は芸術支援活動に寄付されている。
今年で18回目を迎えるプロジェクトの主役は、現代アート界のレジェンド、マリーナ・アブラモヴィッチ。
昨年、高松宮殿下記念世界文化賞 を受賞したことでも話題となった彼女は、パフォーマンスアートという表現領域を切り開き、自らの身体や精神そのものを作品へと昇華してきた存在だ。

~メドゥーサは、なぜブドウを纏ったのか~
そんなアブラモヴィッチが向き合ったのは、オルネッライア2023年ヴィンテージを象徴する言葉、「ラ・ヴィタリタ(生命力)」だった。
彼女が生み出した作品の核となるのは、自らをギリシャ神話のメドゥーサとして描いたセルフポートレートである。
本来、恐怖の象徴として語られるメドゥーサ。しかしアブラモヴィッチは、その蛇の髪をブドウの房へと置き換えた。恐れを豊穣へ、破壊を創造へ、死を生命へと反転させる試みだ。そこには単なるラベルデザインを超えた、一つの思想が宿っている。
750mlボトルでは繊細なドローイングとして表現され、100本限定のダブル・マグナムではより生々しい写真作品へと発展。さらに10本のみ制作されるアンペリアル(6L)では、アブラモヴィッチ自身が真のメドゥーサとして現れ、見る者に強烈な印象を残す。

そして今回の頂点とも言える作品が、世界にわずか1本しか存在しないサルマナザール(9L)だ。
ボトルには「目を閉じて、ゆっくりとワインを飲み、音楽に耳を傾けて」というメッセージが刻まれ、その上部にはアブラモヴィッチの代表作『エナジー・ハット』から着想を得た赤いキャンドルが据えられる。さらに映画『甘い生活』の音楽で知られる作曲家ニーノ・ロータのレコードまで添えられ、ワイン、視覚芸術、音楽、そして身体感覚そのものを一つの体験へと融合させている。
それはもはやワインボトルではない。
一つのパフォーマンス作品であり、アートピースであり、体験装置なのだ。


これらの特別ボトルは、世界的オークションハウスである Bonhams によってオンラインオークションへ出品される。オークションは6月11日から23日まで開催され、収益金のすべては ソロモン・R・グッゲンハイム財団 に寄付される。寄付金はニューヨークの グッゲンハイム美術館 で開催される展覧会の作品保存・修復支援に充てられる予定だ。
こうした活動が評価され、「ヴェンデミア・ダルティスタ」は今や単なるワインプロモーションの枠を超えた国際的な文化プロジェクトとして認知されている。
もちろん、忘れてはならないのはワインそのものだ。
オルネッライア2023年は、穏やかな冬と適度な降雨、そして極端な猛暑を避けた夏によって育まれたヴィンテージ。ゆっくりと成熟したブドウは凝縮感と美しい酸を備え、豊かなアロマとエレガンスを兼ね備えたスタイルに仕上がったという。醸造責任者マルコ・バルシメッリは「表現力の豊かさとエレガントさのバランスが完璧なワイン」と語る。
優れたワインは、ときに一冊の本のように語りかけてくる。
優れたアートもまた、私たちに新しい視点を与えてくれる。
オルネッライアの「ヴェンデミア・ダルティスタ」が特別なのは、その両者が出会う場所を毎年つくり続けているからだろう。
グラスの中にあるのは、単なるワインではない。
そこには、土地の記憶と人の創造力、そして「生命力」という普遍的なテーマが静かに息づいている。
