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如月サラの[葡萄酒奇譚] 第四夜 避暑地の出来事〜蓼科の山荘にて

文・写真/如月サラ

東に小一時間行けば山、西に小一時間行けば海。しかもどちらも国立公園という土地でドライブ好きの両親のもとに生まれ育った私は、別荘という存在を子どもの頃は知るよしもなかった。庶民の家だったからということもあるかもしれないけれど。

別荘地や療養地というものがあることを知ったのは、学生時代に読んだ文学や漫画からだった。堀辰雄の『風立ちぬ』、萩尾望都の『トーマの心臓』、そして、たがみよしひさの『軽井沢シンドローム』…。都会から離れた特別な場所、そこならではの文化、そして人間関係があり、さまざまな出来事が起きる世界は、文字通り、私にとっては別世界だった。

緑濃い夏の蓼科ヴィレッジ

故郷を離れ東京で暮らすようになると、時折、別荘を持っている人たちに出会うようになった。人も建物も密集している都心の忙しい日々から離れ、逃れる場所が必要なのだろう。山や海の別荘での食事に招待してもらうこともあり、素晴らしいロケーションでのホームパーティーにただただ感嘆し、楽しむばかりだった。

今年の夏の初めに、「別荘に避暑に来ない? しばらく滞在してもいいよ」と古い友人に言われた時は、どういうことなのだろうと思う方が先だった。別荘を持っているという話をこれまでに一度も聞いたことがない。

なんでも、オーナーからこの夏の間の管理を任されたのだという。それならば、乗らぬ手はない。各地の最高気温が次々と更新されるなか、極暑の東京を逃れてしばしの別荘ライフを体験すべく、仲間たちと軽自動車に乗り込んで蓼科に向かった。

東山魁夷の絵画『緑響く』のモチーフになった奥蓼科の御射鹿池(みしゃかいけ)

別荘地といえば、まず思い浮かぶのは軽井沢だろう。江戸時代に外国人から見いだされ発展してきた軽井沢は、都会的で華やかな社交性のある別荘地だ。いっぽう蓼科は、1960年代頃、日本人のレジャー熱が高まり、別荘ブームに湧いた時期に開発が進んだ、比較的新しい別荘地だ。

都心から中央高速に乗って約2時間半。八ヶ岳山麓の緑が迫る道をひたすらに進んでゆくと、少しずつ道は上り坂になる。カラマツやシラカバの木が立ち並び、緑の葉を揺らす。広大な別荘地は、隅々まできちんと管理された高原の都会といったところだ。

頑丈そうな美しい山荘やコテージがぽつりぽつりと現れる緩やかなカーブを何度も曲がってゆく。砂利道に入り、しばらく進むとようやく目的地に着いた。標高1500メートル。都心が摂氏36度という予報の中、温度計が指し示していたのは23度という気温だった。ひんやりした空気が肌を撫でる。隣の家は遠く離れ、叫んでも届きそうにないほど木々の緑が色濃く茂っていた。

蓼科高原にある山荘

ここから約1週間、この山荘での生活が始まると思うと胸が高鳴った。何もすることがないなんて! それぞれの寝室を決めた私たちは、気楽な服装に着替えてリビングのソファやダイニングのテーブル、テラスなどに陣取った。

夕食は、地元のファームで採れる野菜を使って作った。友人が、ゆかりのある人が造っているんだよと持ってきてくれたボトルワインを開けて乾杯した。さわやかなシャルドネが、避暑地の清涼な空気によく合った。

山梨県韮崎市Domaine Kyoko Hosakaのシャルドネ白根収穫 2022。南アルプス市旧白根町自園ぶどうを使用。

蓼科は、別荘地として開発される前から湯治場として知られている。武田信玄の配下が湯治をしたという伝説の残る温泉もあり、出かけてめぐるのも楽しかった。山荘にはWi-Fiが設置されていた。けれど不思議なもので、いつでも通信できるという安心感があるからか、スマートフォンの画面はあまり見ず、ただゆったりと時間が流れるのを楽しんだ。

山荘の寝室に漏れる朝日

日常生活とは隔絶された別荘ライフでの解放感も、長くは続かない。非日常はあっという間だ。仕事があるからと、ひとり、またひとりと東京に帰ってゆき、私はぽつんと残された。そうして迎えた最終日の夜。滞在する山荘の周囲のことを何も知らないままであることに気がついた。

それも仕方がない。それぞれの所有者の敷地の間を縫う砂利道はあくまでも山荘へ至るための通路であり、人がぶらぶら歩くためのものではないからだ。実際、ここに来て一度も外を歩いている人を見かけたことはなかった。

しかし、周囲にどんな世界が広がっているのだろうという好奇心が湧いてくる。翌日、夜明け前の薄明るくなってきた頃に、山荘を出て歩いてみることにした。気温は摂氏17度。寒さを感じるほどだ。パーカーを羽織った。
見渡すと、砂利道はゆるやかに登ったり下ったりしている。進むとどこへ至るのかまったくわからない。あるいはどこかの山荘の入口で行き止まりになっているのかもしれない。ゆっくりと歩き出してみた。まだ誰も起きていない時間。私が砂利を踏む音だけが静かに響いた。
上へと向かってゆくと、ふとひらけた場所に出た。見えるのはおそらく八ヶ岳連峰だろう。うっすらと雲海が浮かんでいる。

蓼科ヴィレッジから八ヶ岳連峰の方向を望む

さらに進んでゆくと、不意に黒灰色の塊が飛び出してきた。たぬきだ。しばらくこっちをじっと眺めると、ヒラリと木々の間に消えていった。強い視線を感じて振り向くと、鹿が7頭、並んでいた。皆でこっちを見ている。家族なのだろうか。しばらく見つめ合っていると、いちばん大きな鹿が大きな声で「キュウッ!」と鳴いたのを合図に、全員が身体を翻して逃げてしまった。

早朝の散歩で出会った鹿の群れ

隅々まで管理された森だと思っていたけれど、夜は動物たちの王国でもあったのだ。なんだかうれしくなってきた。やがて朝日が昇り少しずつ日が差し始めると、鳥が鳴き始めた。空の遠くに細い三日月が浮いていた。

早朝の三日月

そろそろ山荘に戻り、コーヒーを飲んで帰り支度をしよう。踵を返し、これまでたどった道を戻り始めた。小さな貯水池。区画名を示す立て札。鹿に注意という道路標識。見覚えのある道を歩いて行く。最後の道を曲がり、この坂道を一度登って下ったら山荘に帰り着くと気を抜いた。ところが、なんだか様子がおかしい。

こんな道だったかな。そう思って進んでいるうちに、周囲の様子が一変したことに気がついた。森が押し寄せ、それまではぽつぽつと見えていた山荘も見当たらない。でも、不思議と不安はなかった。まだ日は昇ったばかりだ。これから明るくなってゆくだろう。辺りが見えなくなる心配はない。

森に差し込んでくる朝日

行く先を眺めてみても、ただただゆるやかに下ってゆくばかりだ。このままでは飲み込まれてしまうのではないか。やはり一度、戻ろう。そう思って振り返ると、これまで来た道がはるか向こうまで上り坂となって続き、ここを戻るのかと少し弱気になった。

立ち止まり、深呼吸をしてから登り始めると、ほどなくして見覚えのある分かれ道が見えてきた。山荘へ至る目印の標識もある。さっき分かれ道に入った時は目に入らなかったのに。そこから道が一気に開け、5分も歩かないうちに滞在先の山荘にたどり着いた。まだ午前6時を少しまわったばかりだった。

熱いコーヒーを淹れて、一息つく。あれはなんだったのだろう。私という珍客をもてなすための、動物たちのちょっとしたいたずらだったのだろうか。山や森の夜は、人間のための時間ではないと聞いたことがある。夜と朝の間(あわい)。人の時間にはまだ早いよ、けれど僕たちを驚かせずにいてくれたからこれくらいにしておくね、とウインクされたのかもしれない。

私はまだまだ極暑の続く東京に向かって帰り支度を始めた。

如月サラ(きさらぎさら)

作家。マガジンハウス勤務時代、
Hanako編集部で90年代からワイン特集に携わる。
仏シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ叙任。
猫5匹と東京と熊本の二拠点生活中。
趣味は写真撮影。
著書に『父がひとりで死んでいた』(日経BP)

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